2009年 04月 03日
ビックM(後編) |
ビックMと言っても、山科に昔あったディスカウントスーパーではありません。
さて、M先生の思い出、後編です。
M先生が大学に来られたのは、僕らが大学3年の頃。
最初から「教授」として名前はあったのですが、僕らが一期生だったため、最初の2年は授業が無かったのですな。
初めてお見かけしたのは大学2年の入学式だったかな。
小雨降る中庭で立っておられて、斜後ろ背後から、F久保くんと「あれがMやで」とかヒソヒソ言いながら見かけたのを覚えてます。
(ちなみに、パーティーでI先生が言ってた、学祭で酔っぱらって『M出てこい!』と叫んだのはKです。僕じゃないですよ。)
M先生の授業は、ザックリとテーマ設けて、作品作ってきて合評、というスタイルだったと思う。
合評では基本「少ない。これ100点作って来い」という感じと「こっちのパレットや床の方がオモロい」が必殺フレーズ。
「パレットや床~」云々はO竹伸朗氏も同様のテイストですな。
ちなみにこちらは山下洋輔と先生のコラボ。
そんな感じなんで、僕はどちらかというと先生には好かれてない学生だったと思う。
おそらく先生は、当時まだその余波が残ってた「シュミレーショニズム」なんかはお気に召さなかったと思う。
「◯◯◯◯(超有名作家)とか、僕は嫌いやな~」
とかおっしゃってたし。
で、ボキはそんなんが大好きだった学生だったんで、そりゃ、あかんわな。
ですが、ま、だからといって別に冷たくされたりした訳ではなんやけど。
そんな感じで、合評なんかは上記のことに駄洒落を交えた合評だったので、そうゆう一見「ユルい」雰囲気を良しとしない学生にとっては「なんだかな~」的な雰囲気だったのですが、実はそう見えて、時々、実に鋭い一言を、言われた相手が気付かないほど、「スラッ!」と刀抜いて切り捨てる様を偶然通りすがりで見てしまった事が何度もあります。
僕らなんかはたぶん、「切るほどでもない」存在だったので、切られずに済んだのでしょう。
また、学生の授業の「食いつき」が悪い時(出席率が悪い時)なんかは、
「別に僕、先生辞めたって作家でなんぼでも食っていけるさかいな~」
とおっしゃってたのも印象的。
そんな作家、日本に何人いる?
実際、別の大学では、あまりに学生が授業に来ないのであっさり辞めちゃったとか。
公立の芸大ですよ。
ま、多分、その頃のそこの大学の学生さんとは、先生の世代の作家と「世代闘争」的に関係にあって、ある意味、彼らにしたら先生は目の上のたんこぶだったのでは?と思います。
(あ、あくまで勝手な推測ですよ。)
僕らなんかは、孫みたいな世代なんで、そういう感じはなかったのでしょうな。
他にも、学芸員系の先生に「あんたらは作家に群がる蟒蛇みたいなもんや」と酔っておっしゃっても、その言われた先生は「ハイ、ごもっともでございます」と言ってたとか、彫刻のボス的先生に、若い頃フランスかどっかで、子供のオムツ買いにパシらせたとか、豪傑エピソードが山のようにあります。
ただ豪傑ながら、威圧感というよりは、あまりに全てのサイズが規格外なので、皆ぼか~んと口を開けて見るしかない、という感じの先生でした。
だから人気もあったのでしょうな。
僕も先生の言うことには逆らってばっかだったんですが、やはり作家としての先生は非常にカッコ良く、憧れの存在です。
昔、「土曜美の朝」なんかで見た、先生の制作風景。
キャンバスを横に、画面を見ずに、「よそ見」しながら筆で絵具を投げつける様は、めっちゃカッコ良かった!
「パンクや!パンク!!」
と興奮したのを覚えてます。
というわけで、近々、美術館の展覧会も控えてる先生。
↑なぜまたこれを載せたかというと、キララちゃんがカワイイからではなく、M先生のことが載ってるから。
というわけで、いつまでも豪傑でいて下さい。
って、そんな心配は無用のようですな。
(心配なのは「タピエ氏」等、初期作品の塗料の剥離です。)
今日の鼻歌:
♪君は笑われた~ ことがないんだろ~? 笑って~あげる~ 笑って~あげる~ 眉間にシワを~
寄せてる~君を~ 笑って~あげる~ 笑って~あげる~
♪ハッハッハッハッハーッ! ハッハッハッハッハーッ! ハッハッハッハッハーッ! ハッハッハッハッハーッ!
さて、M先生の思い出、後編です。
M先生が大学に来られたのは、僕らが大学3年の頃。
最初から「教授」として名前はあったのですが、僕らが一期生だったため、最初の2年は授業が無かったのですな。
初めてお見かけしたのは大学2年の入学式だったかな。
小雨降る中庭で立っておられて、斜後ろ背後から、F久保くんと「あれがMやで」とかヒソヒソ言いながら見かけたのを覚えてます。
(ちなみに、パーティーでI先生が言ってた、学祭で酔っぱらって『M出てこい!』と叫んだのはKです。僕じゃないですよ。)
M先生の授業は、ザックリとテーマ設けて、作品作ってきて合評、というスタイルだったと思う。
合評では基本「少ない。これ100点作って来い」という感じと「こっちのパレットや床の方がオモロい」が必殺フレーズ。
「パレットや床~」云々はO竹伸朗氏も同様のテイストですな。
ちなみにこちらは山下洋輔と先生のコラボ。
そんな感じなんで、僕はどちらかというと先生には好かれてない学生だったと思う。
おそらく先生は、当時まだその余波が残ってた「シュミレーショニズム」なんかはお気に召さなかったと思う。
「◯◯◯◯(超有名作家)とか、僕は嫌いやな~」
とかおっしゃってたし。
で、ボキはそんなんが大好きだった学生だったんで、そりゃ、あかんわな。
ですが、ま、だからといって別に冷たくされたりした訳ではなんやけど。
そんな感じで、合評なんかは上記のことに駄洒落を交えた合評だったので、そうゆう一見「ユルい」雰囲気を良しとしない学生にとっては「なんだかな~」的な雰囲気だったのですが、実はそう見えて、時々、実に鋭い一言を、言われた相手が気付かないほど、「スラッ!」と刀抜いて切り捨てる様を偶然通りすがりで見てしまった事が何度もあります。
僕らなんかはたぶん、「切るほどでもない」存在だったので、切られずに済んだのでしょう。
また、学生の授業の「食いつき」が悪い時(出席率が悪い時)なんかは、
「別に僕、先生辞めたって作家でなんぼでも食っていけるさかいな~」
とおっしゃってたのも印象的。
そんな作家、日本に何人いる?
実際、別の大学では、あまりに学生が授業に来ないのであっさり辞めちゃったとか。
公立の芸大ですよ。
ま、多分、その頃のそこの大学の学生さんとは、先生の世代の作家と「世代闘争」的に関係にあって、ある意味、彼らにしたら先生は目の上のたんこぶだったのでは?と思います。
(あ、あくまで勝手な推測ですよ。)
僕らなんかは、孫みたいな世代なんで、そういう感じはなかったのでしょうな。
他にも、学芸員系の先生に「あんたらは作家に群がる蟒蛇みたいなもんや」と酔っておっしゃっても、その言われた先生は「ハイ、ごもっともでございます」と言ってたとか、彫刻のボス的先生に、若い頃フランスかどっかで、子供のオムツ買いにパシらせたとか、豪傑エピソードが山のようにあります。
ただ豪傑ながら、威圧感というよりは、あまりに全てのサイズが規格外なので、皆ぼか~んと口を開けて見るしかない、という感じの先生でした。
だから人気もあったのでしょうな。
僕も先生の言うことには逆らってばっかだったんですが、やはり作家としての先生は非常にカッコ良く、憧れの存在です。
昔、「土曜美の朝」なんかで見た、先生の制作風景。
キャンバスを横に、画面を見ずに、「よそ見」しながら筆で絵具を投げつける様は、めっちゃカッコ良かった!
「パンクや!パンク!!」
と興奮したのを覚えてます。
というわけで、近々、美術館の展覧会も控えてる先生。
↑なぜまたこれを載せたかというと、キララちゃんがカワイイからではなく、M先生のことが載ってるから。
というわけで、いつまでも豪傑でいて下さい。
って、そんな心配は無用のようですな。
(心配なのは「タピエ氏」等、初期作品の塗料の剥離です。)
今日の鼻歌:
♪君は笑われた~ ことがないんだろ~? 笑って~あげる~ 笑って~あげる~ 眉間にシワを~
寄せてる~君を~ 笑って~あげる~ 笑って~あげる~
♪ハッハッハッハッハーッ! ハッハッハッハッハーッ! ハッハッハッハッハーッ! ハッハッハッハッハーッ!
by kiuchism
| 2009-04-03 19:29
| 思ひ出話