2011年 04月 17日
凸2011312 |
え~激凸展も終わり、落ち着いてきた・・・ような、そうでもないような。
関西にいても、何だか不安要因も多く、落ち着かない春です・・。
とりあえず、相変わらず長いですが、311のつづきの312の話です。
単なる個人的な日記ですので、まあ気楽にお付き合い下さい~。
____________
(前回のつづき)
2011年3月12日(土)
目が覚めたのは6時か7時くらいだったか?
非常事態だったにも関わらず、割とちゃんと眠れた印象だった。
搬入用の毛布と座布団に感謝。
目覚めてすぐに見た景色。
松山淳さんの作品の光背部分が、お地蔵さんに見えた・・。
ギャラリーには帰れない作家さんたちの雑魚寝の姿。
そして、近くのホテルに泊まってた高木さんの部屋で、交代でシャワーを浴びさせてもらう。
ここは緊急事態ということで、特別にホテルの方にもOKいただくことに。
画廊泊だったので、テレビ等も無く、情報は携帯でのツイッターくらい。
しかしそれも、普段のつぶやきではない。
友人知人も、一人を除いてほぼ沈黙。
ああ、おもんない。
なんかコメントお願いします~!
ということだったのだが、ホテルのテレビ等で、震災の大きさが徐々にわかってくる。
「展覧会などできる状態じゃないかも・・・」
とも思ったりする。
いや、展示はできるかもしれないのだけど、そもそもお客さんが来ないのでは?と心配する。
しかし、こちらは寝れたし(結果的に宿泊費も無料!)シャワーも浴びれたし、不安はあるけど不満は無い状態。
その後、昨夜を思い出し、コンビニへ。
とりあえず、物自体は少ないけれどパン等が入荷している。
それを適当に、少し多めに(すでに買いだめ?)買ってギャラリーへ戻る。
皆、疲れ切ってるのか、スタートが遅い。
ま、これは仕方ない。
作品だけ届いてる櫻井りえこさんの作品や、堀尾貞治さんの作品は高木さんを中心にが設置。
櫻井さんは茨城で被災しており、避難所に居られるという情報が入っている。
しかも、パネル用に購入していた木材で暖をとっているとか!
午前の遅めくらいに、少しづつ、昨日来られなかった作家さんや、画廊以外で宿泊されてた作家さんたちが続々会場入り。
木村了子さん、春草未絵さん、中村協子さんら激凸女史チームの皆さんが会場入り。
中村さんは新幹線が途中で止まって、結局宿泊先まで歩いて来られたとか。
とても不安で恐かっただろうことは想像できたのだが、「めっちゃ恐かったですよ~~」なんていいながら、なんかケロっとされてるようにも見えた。
むむ~、母になる女性は強い!
それぞれ展示場所はほぼ決まっていたので、挨拶もそこそこにまだ未設置な方の手伝いを・・と右往左往するも、なかなか要領を得ない。
数時間後には開催というのに、まだギャラリー内は混沌としている。
結果無駄にウロウロしすぎて、疲れてしまった。
とりあえず、14時頃になっても、まだ現れない作家さんも。
あ、壁の穴埋めとかもまだやわ・・・。
アンシールさんもプライスリストやら何やらでバタバタとされてるので、とにかく穴埋めと、ついでに例の壁のヒビ割れも応急処置。
気がつけば「木内君~こっちも」「はーい!」てな感じで、穴埋めボーイと化す私。
ま、穴埋めは得意な方かも。(いろんな意味で~)
そして、ギリギリで関本幸治さん登場。
既に作品は届いてましたが、その届いて置かれてる作品の作りを見て、
「あ、この人は相当デキル人やわ、たぶん設置もめちゃ早いわ」
と予想してたが、予想は的中。
30分以内でサクサクと展示されてました。
ついでにその「デキル」と思わせた額の設置部分の作りが「どっこ」という名称だということも教えていただく。
そんなこんなでなんだかんだあって(軽く割愛)、もうすぐ開催時間だー、という時点で既にお客さんが!
先ほど、この日のイベントは中止という一報は公式ブログ等でお知らせしてたのだが、展覧会は開催なのだ。
言うてる間に、15時。
まだ、湯真藤子さんがまだだ~~。
とか言ってたら、登場!
何と50号の油絵を梱包もせず持って、電車で来たとか!
しかも、描かれてるのは伯爵が首の無い鶏から生き血を輸血してもらってるリアル具象絵画!
(詳しくはこちらで)
こりゃ、電車では「ついに危ない人が現れたか・・・」なんて思われたに違いない。
(って、湯真さんスイマセン~)
という感じだったけど、展覧会はこれで完成!
そのままオープニングの流れへ。
開催すぐの筆者作品付近の様子。
「お客さんなんて来るのかしら?」と心配だったが、アンシールさんの知り合いの方など、少しずつ来られて、そこそこの賑わい。
「震災がなければ、こんなもんじゃ・・・」
と思いつつも、作家さんやお客さんと、ようやくゆっくり話す。
・・・と、前半はまあいい感じだったのだが、後半、空きっ腹にビールが入り、一気に疲労が出る。
そういえばこの日も朝にパン食べて以来、昼食のタイミングも逃してたため、食べてない状態。
さっきの無駄なウロウロが、ローキックのように効いてきた・・・は大袈裟か。
そんな状態だったから、後半、僕が学生のとき「死にたいくらいに憧れた」ギャラリーのオーナーさんの姿も見え、高木さんに「紹介しましょうか?」と言っていただいたのだが、つい弱気で「あ・・別にいいですわ・・・」と消極的になってしまった。
情け無かったっス。我ながら。
しかしながら、場は楽しい感じで進む。
僕の大学の同級生で横浜在住の片桐三佳さんと、その旦那さんの木下直人さんも来て下さってた。
関東での数少ない知り合い。ありがと~。
そんで、そのまま二次会場へ。
普通の居酒屋が普通に営業していて、街も普通に人が歩いてるのだが、ちょうどオープングの際に「原発が・・・」という情報が入り、ツイッター等見ても、様々な情報が溢れていた。
「外に出たらダメだ!」というような感じのものもあり、情報の正確さもわからず、呑んだりしながらも、頭の片隅にちょっと不安なものがつきまとってる感じだった。
しかしながら、やはり多くの仲間(会ったの搬入時が初めてな方が大半なのだが)と居るというのが、心強かったのか。
諸々、他の展覧会等が一時的に中止になったりしていたが、「激凸展」はイベントこそ中止になったけど、作家はみな中止とは思わず、電車が止まったり大渋滞だったり避難したりしてても、誰もが画廊に向かい、搬入し、展示をし、それに疑いをも持ってなかった。
事前に作家同士で色々意見が飛び交った展覧会だったのだが、ここの部分は誰も違わず、もの言わぬともわかり合えたような気がした。
皆、凄いな~~と感心しながら呑んで食べて酔い、深夜に解散。
そしてこの晩、さすがに代表の高木さんは悔しくて枕を濡らしたそうだ。
これだけ準備をして、満を持してのオープニング。
「震災が無ければ・・・・」
お察しいたします。
ただ、こういう状況でもしっかり自分の仕事を見せる為に全力を尽くした各作家さんの姿勢が、当たり前の事かも知れないけど、素晴らしい!と誇りに思った、そんな夜だった。
(そして関西に戻るのは、翌313の話・・・へ続く予定です~)
今日の鼻歌:
♪いつで~も真っすぐ歩けるか?湖にドボンかも知れないぜ 誰か~に相談してみても 僕らの~行く道は変わらない
関西にいても、何だか不安要因も多く、落ち着かない春です・・。
とりあえず、相変わらず長いですが、311のつづきの312の話です。
単なる個人的な日記ですので、まあ気楽にお付き合い下さい~。
____________
(前回のつづき)
2011年3月12日(土)
目が覚めたのは6時か7時くらいだったか?
非常事態だったにも関わらず、割とちゃんと眠れた印象だった。
搬入用の毛布と座布団に感謝。
目覚めてすぐに見た景色。
松山淳さんの作品の光背部分が、お地蔵さんに見えた・・。
ギャラリーには帰れない作家さんたちの雑魚寝の姿。
そして、近くのホテルに泊まってた高木さんの部屋で、交代でシャワーを浴びさせてもらう。
ここは緊急事態ということで、特別にホテルの方にもOKいただくことに。
画廊泊だったので、テレビ等も無く、情報は携帯でのツイッターくらい。
しかしそれも、普段のつぶやきではない。
友人知人も、一人を除いてほぼ沈黙。
ああ、おもんない。
なんかコメントお願いします~!
ということだったのだが、ホテルのテレビ等で、震災の大きさが徐々にわかってくる。
「展覧会などできる状態じゃないかも・・・」
とも思ったりする。
いや、展示はできるかもしれないのだけど、そもそもお客さんが来ないのでは?と心配する。
しかし、こちらは寝れたし(結果的に宿泊費も無料!)シャワーも浴びれたし、不安はあるけど不満は無い状態。
その後、昨夜を思い出し、コンビニへ。
とりあえず、物自体は少ないけれどパン等が入荷している。
それを適当に、少し多めに(すでに買いだめ?)買ってギャラリーへ戻る。
皆、疲れ切ってるのか、スタートが遅い。
ま、これは仕方ない。
作品だけ届いてる櫻井りえこさんの作品や、堀尾貞治さんの作品は高木さんを中心にが設置。
櫻井さんは茨城で被災しており、避難所に居られるという情報が入っている。
しかも、パネル用に購入していた木材で暖をとっているとか!
午前の遅めくらいに、少しづつ、昨日来られなかった作家さんや、画廊以外で宿泊されてた作家さんたちが続々会場入り。
木村了子さん、春草未絵さん、中村協子さんら激凸女史チームの皆さんが会場入り。
中村さんは新幹線が途中で止まって、結局宿泊先まで歩いて来られたとか。
とても不安で恐かっただろうことは想像できたのだが、「めっちゃ恐かったですよ~~」なんていいながら、なんかケロっとされてるようにも見えた。
むむ~、母になる女性は強い!
それぞれ展示場所はほぼ決まっていたので、挨拶もそこそこにまだ未設置な方の手伝いを・・と右往左往するも、なかなか要領を得ない。
数時間後には開催というのに、まだギャラリー内は混沌としている。
結果無駄にウロウロしすぎて、疲れてしまった。
とりあえず、14時頃になっても、まだ現れない作家さんも。
あ、壁の穴埋めとかもまだやわ・・・。
アンシールさんもプライスリストやら何やらでバタバタとされてるので、とにかく穴埋めと、ついでに例の壁のヒビ割れも応急処置。
気がつけば「木内君~こっちも」「はーい!」てな感じで、穴埋めボーイと化す私。
ま、穴埋めは得意な方かも。(いろんな意味で~)
そして、ギリギリで関本幸治さん登場。
既に作品は届いてましたが、その届いて置かれてる作品の作りを見て、
「あ、この人は相当デキル人やわ、たぶん設置もめちゃ早いわ」
と予想してたが、予想は的中。
30分以内でサクサクと展示されてました。
ついでにその「デキル」と思わせた額の設置部分の作りが「どっこ」という名称だということも教えていただく。
そんなこんなでなんだかんだあって(軽く割愛)、もうすぐ開催時間だー、という時点で既にお客さんが!
先ほど、この日のイベントは中止という一報は公式ブログ等でお知らせしてたのだが、展覧会は開催なのだ。
言うてる間に、15時。
まだ、湯真藤子さんがまだだ~~。
とか言ってたら、登場!
何と50号の油絵を梱包もせず持って、電車で来たとか!
しかも、描かれてるのは伯爵が首の無い鶏から生き血を輸血してもらってるリアル具象絵画!
(詳しくはこちらで)
こりゃ、電車では「ついに危ない人が現れたか・・・」なんて思われたに違いない。
(って、湯真さんスイマセン~)
という感じだったけど、展覧会はこれで完成!
そのままオープニングの流れへ。
開催すぐの筆者作品付近の様子。
「お客さんなんて来るのかしら?」と心配だったが、アンシールさんの知り合いの方など、少しずつ来られて、そこそこの賑わい。
「震災がなければ、こんなもんじゃ・・・」
と思いつつも、作家さんやお客さんと、ようやくゆっくり話す。
・・・と、前半はまあいい感じだったのだが、後半、空きっ腹にビールが入り、一気に疲労が出る。
そういえばこの日も朝にパン食べて以来、昼食のタイミングも逃してたため、食べてない状態。
さっきの無駄なウロウロが、ローキックのように効いてきた・・・は大袈裟か。
そんな状態だったから、後半、僕が学生のとき「死にたいくらいに憧れた」ギャラリーのオーナーさんの姿も見え、高木さんに「紹介しましょうか?」と言っていただいたのだが、つい弱気で「あ・・別にいいですわ・・・」と消極的になってしまった。
情け無かったっス。我ながら。
しかしながら、場は楽しい感じで進む。
僕の大学の同級生で横浜在住の片桐三佳さんと、その旦那さんの木下直人さんも来て下さってた。
関東での数少ない知り合い。ありがと~。
そんで、そのまま二次会場へ。
普通の居酒屋が普通に営業していて、街も普通に人が歩いてるのだが、ちょうどオープングの際に「原発が・・・」という情報が入り、ツイッター等見ても、様々な情報が溢れていた。
「外に出たらダメだ!」というような感じのものもあり、情報の正確さもわからず、呑んだりしながらも、頭の片隅にちょっと不安なものがつきまとってる感じだった。
しかしながら、やはり多くの仲間(会ったの搬入時が初めてな方が大半なのだが)と居るというのが、心強かったのか。
諸々、他の展覧会等が一時的に中止になったりしていたが、「激凸展」はイベントこそ中止になったけど、作家はみな中止とは思わず、電車が止まったり大渋滞だったり避難したりしてても、誰もが画廊に向かい、搬入し、展示をし、それに疑いをも持ってなかった。
事前に作家同士で色々意見が飛び交った展覧会だったのだが、ここの部分は誰も違わず、もの言わぬともわかり合えたような気がした。
皆、凄いな~~と感心しながら呑んで食べて酔い、深夜に解散。
そしてこの晩、さすがに代表の高木さんは悔しくて枕を濡らしたそうだ。
これだけ準備をして、満を持してのオープニング。
「震災が無ければ・・・・」
お察しいたします。
ただ、こういう状況でもしっかり自分の仕事を見せる為に全力を尽くした各作家さんの姿勢が、当たり前の事かも知れないけど、素晴らしい!と誇りに思った、そんな夜だった。
(そして関西に戻るのは、翌313の話・・・へ続く予定です~)
今日の鼻歌:
♪いつで~も真っすぐ歩けるか?湖にドボンかも知れないぜ 誰か~に相談してみても 僕らの~行く道は変わらない
by kiuchism
| 2011-04-17 00:43
| 旅日記