2009年 02月 12日
ニッパチ・ア・バンガード |
さて、自分のドジさばかりをアピールする、「残念賞最有力候補」な私。
これが女の子だったら、
「ドジかわいい」
とかになるかも知れませんが、決して
「ドジかっこいい」
とはなりませんな。
全く絵にならないオッサンです。
ですが、自身は絵にならぬとも、絵は観に行きましょう、てな感じで出かけた2月8日。
切符間違い事件の原因は「大山崎山荘美術館」。
「さて、大山崎~山口晃展~」
に。
そいえば前回東京に行った時(4年前)、やたらと山口さんの作品見たので、
「キテる作家なんやな~」
と当時思ったのを思い出した。
「絵師」という印象を持っていたのですが、そのイメージは狭い捉えかたでした。
コンクリの壁にスポットだけ当てて、「見立て」の作品としたり、移動式茶室作ってみたりと、「シュミレーショニズム」的茶目っ気もあり、面白かった。
や、この感じは宮武外骨先生的でもありますな。
世代は「ヤマト世代」終わりから「ガンダム世代」な方だと思うのですが、ヤマト感と、ガンダム通り越して「マクロス」感がありましたわ。
展覧会自体も「大山崎」を意識した新作ばっかりだったので、よかったっス。
もちろんカタログ予約して、山荘を後に。
それから大阪へ。
国立国際美術館。
「アバンギャルドチャイナ」と「新国誠一《具体詩》」
どちらも非常に面白かった。
「前衛」と聞くと、日本ではもう60年代くらいまでのイメージで、最近では「ささやかな前衛」という言葉くらいでしか聞こえて来ませんが、大学一年生の時に「前衛」の洗礼を受けた身としては、無視するわけには行けないでしょう・・・
・・・っても、「具体・ネオダダ・ハイレッド」に憧れたり、村上三郎さんの紙破りを生で見て興奮したりしたレベルの話なんですが。
(あ、その時のサイン入り「破れた紙」持ってたな~)
しかし、やはりチャイナ。
社会も歴史も文化もひと味もふた味も違うわさ。
2006年のギャラリズムでの、建畠氏(国立国際館長)の公演の時に、中国のアートシーンの話をされていて、それを聞いていたので、何となく予習できてる感じで見れました。
目を背けたくなる過激さも予想の範囲。
たぶん、日本国内向けにマイルドにされてるのでしょうな。
実際は「日本では絶対紹介できない」作家や作品がある、と建畠氏も当時おっしゃってたし。
久々にみた、ガッツリ「アジア感」。
このテイストを好まない美術ファンも多いかと思いますが、センス以前に社会状況が違いすぎるもの。
建畠氏が中国のある美術作家に「いくらなんでもこんなの美術といっていいの?」という投げかけに、
「それはあなたの思う美術と、私が思う美術が違うだけだ」
と言われたと、その公演の時におっしゃってたのを思いだした。
いたってシンプルな言葉。
使い方によっては作家に取って「便利な詭弁」となるかもしれないですが、いずれにせよ、そのような表現が実在するのは事実である。
目を背けたくてもそうはできない状況があったりするんでしょうな。
とは言え、全体的にはとても見応えがあり、決して過激さだけでなく、様々なタイプの作品があって、とても面白かった。
リアルな蚊の作品や、車イスの作品なんかは、かなりギョッとしましたわ。
お腹いっぱいっス。
また、同時にやってた「新国誠一《具体詩》」も面白かった。
こちらは恥ずかしながら全く予備知識なかったのですが、その筋では有名な人なんでしょう。
Sさんとかはチェックされてるんかな?
詩とタイポグラフィーと造形が絡んだ、小気味良い表現。
こちらは「チャイナ」のそれとはまたひと味違う「前衛」でした。
「知の神の戯れ事」的ながら、我々貧民にもわかりやすい言葉遊び。
染みてきましたわ。
というわけで、結局、二つともカタログ購入で鞄はパンパンで帰りました。
そんなわけで、前回ブログで、自分はドジだ間抜けだ亀だのと自身を蔑んでばかりの私でしたが、
※「いい展覧会を3つも見れた」他、
※「余ったナポリタンソースで作ったオムライス(チーズ入り)がまあまあ美味しくできた」
※「展覧会の協賛の話が一つ取れた」
と、この日はいい事もあったので、これ「残念賞」の景品いただいた、と勝手に思ってます。
とりあえずプラマイ0、つう事で。
今日の鼻歌:
♪根拠無く なぜかふんばってきた~ あの娘の~ なげき節が聞こえる~ いつになく~騒然とした街で~ 自由と~正直さを取り戻す
♪目覚めはいつもの唄がいい~ 夜明けが~勇気をつれてく~る~
これが女の子だったら、
「ドジかわいい」
とかになるかも知れませんが、決して
「ドジかっこいい」
とはなりませんな。
全く絵にならないオッサンです。
ですが、自身は絵にならぬとも、絵は観に行きましょう、てな感じで出かけた2月8日。
切符間違い事件の原因は「大山崎山荘美術館」。
「さて、大山崎~山口晃展~」
に。
そいえば前回東京に行った時(4年前)、やたらと山口さんの作品見たので、
「キテる作家なんやな~」
と当時思ったのを思い出した。
「絵師」という印象を持っていたのですが、そのイメージは狭い捉えかたでした。
コンクリの壁にスポットだけ当てて、「見立て」の作品としたり、移動式茶室作ってみたりと、「シュミレーショニズム」的茶目っ気もあり、面白かった。
や、この感じは宮武外骨先生的でもありますな。
世代は「ヤマト世代」終わりから「ガンダム世代」な方だと思うのですが、ヤマト感と、ガンダム通り越して「マクロス」感がありましたわ。
展覧会自体も「大山崎」を意識した新作ばっかりだったので、よかったっス。
もちろんカタログ予約して、山荘を後に。
それから大阪へ。
国立国際美術館。
「アバンギャルドチャイナ」と「新国誠一《具体詩》」
どちらも非常に面白かった。
「前衛」と聞くと、日本ではもう60年代くらいまでのイメージで、最近では「ささやかな前衛」という言葉くらいでしか聞こえて来ませんが、大学一年生の時に「前衛」の洗礼を受けた身としては、無視するわけには行けないでしょう・・・
・・・っても、「具体・ネオダダ・ハイレッド」に憧れたり、村上三郎さんの紙破りを生で見て興奮したりしたレベルの話なんですが。
(あ、その時のサイン入り「破れた紙」持ってたな~)
しかし、やはりチャイナ。
社会も歴史も文化もひと味もふた味も違うわさ。
2006年のギャラリズムでの、建畠氏(国立国際館長)の公演の時に、中国のアートシーンの話をされていて、それを聞いていたので、何となく予習できてる感じで見れました。
目を背けたくなる過激さも予想の範囲。
たぶん、日本国内向けにマイルドにされてるのでしょうな。
実際は「日本では絶対紹介できない」作家や作品がある、と建畠氏も当時おっしゃってたし。
久々にみた、ガッツリ「アジア感」。
このテイストを好まない美術ファンも多いかと思いますが、センス以前に社会状況が違いすぎるもの。
建畠氏が中国のある美術作家に「いくらなんでもこんなの美術といっていいの?」という投げかけに、
「それはあなたの思う美術と、私が思う美術が違うだけだ」
と言われたと、その公演の時におっしゃってたのを思いだした。
いたってシンプルな言葉。
使い方によっては作家に取って「便利な詭弁」となるかもしれないですが、いずれにせよ、そのような表現が実在するのは事実である。
目を背けたくてもそうはできない状況があったりするんでしょうな。
とは言え、全体的にはとても見応えがあり、決して過激さだけでなく、様々なタイプの作品があって、とても面白かった。
リアルな蚊の作品や、車イスの作品なんかは、かなりギョッとしましたわ。
お腹いっぱいっス。
また、同時にやってた「新国誠一《具体詩》」も面白かった。
こちらは恥ずかしながら全く予備知識なかったのですが、その筋では有名な人なんでしょう。
Sさんとかはチェックされてるんかな?
詩とタイポグラフィーと造形が絡んだ、小気味良い表現。
こちらは「チャイナ」のそれとはまたひと味違う「前衛」でした。
「知の神の戯れ事」的ながら、我々貧民にもわかりやすい言葉遊び。
染みてきましたわ。
というわけで、結局、二つともカタログ購入で鞄はパンパンで帰りました。
そんなわけで、前回ブログで、自分はドジだ間抜けだ亀だのと自身を蔑んでばかりの私でしたが、
※「いい展覧会を3つも見れた」他、
※「余ったナポリタンソースで作ったオムライス(チーズ入り)がまあまあ美味しくできた」
※「展覧会の協賛の話が一つ取れた」
と、この日はいい事もあったので、これ「残念賞」の景品いただいた、と勝手に思ってます。
とりあえずプラマイ0、つう事で。
今日の鼻歌:
♪根拠無く なぜかふんばってきた~ あの娘の~ なげき節が聞こえる~ いつになく~騒然とした街で~ 自由と~正直さを取り戻す
♪目覚めはいつもの唄がいい~ 夜明けが~勇気をつれてく~る~
by kiuchism
| 2009-02-12 00:04
| アートピック