2009年 06月 13日
放課後のために~その2・も一回ジャブ~ |
さて、各方面から体調に関するお見舞いの言葉をいただきました。
ほぼ、大丈夫だと思います。
仕事も行ってますし、勝てない阪神を嘆いてますし。
とりあえず、夜に白い花咲かせるくらいに元気になってきました。
下品ですいません、どうも木内です。
さて、しつこくも、もうしばらくお付き合い下さい。
放課後展の話。
前回の補足。
小学校を展示会場に使う、というのは、たぶんここ15年くらいで数多くやられていて、美術ファンな人にとっては「超ベタ」な、サイトスペーフィ・・・なんやったけ?あの舌噛みそうな言葉。
そんなに美術業界に明るくない人にとっては目新しくても、「今さら」な企画であり、かつそのスペースの持つ磁力の凄さに、大抵の美術作品はあっさり負けて、
「ここ、作品とか無いほうが面白いんちゃうん?」
てな感想を言う、というのもまた、ベタなあるあるネタ。
結構ノー天気に「どこでもやりまっせ~」てな作家じゃない限り、「諸刃の剣」を覚悟せねばならぬのが、こういう会場での常、ですな。
なので、何も考えずやって、上記の様な感想もらって、「俺のせいちゃうやんけ~」とか言ってヘラヘラするか、あるいはそんなリスキーなものには手を出さないのが、実力がバレなくて評価下げないので、いいのか?
じゃ、やっぱやらないのか?
「企画を準備して~、ストレートに表現できる状況をつくり、ワキをしめえぐるように展覧会を~
やるべし!やるべし!やるべし!やるべーーーっし!!」
僕はこの展覧会をやるにあたり、その理想型としてお手本にし、目標にしていた展覧会があった。
元龍池小学校で行われていた、「小鳥は大空を想像する」(1995年)という、同じく閉校を使って行われていた美術の展覧会。
僕が過去見た、学校を使った展覧会で、NO.1の展覧会です。
当時まだ大学生だったのですが、その会場の使い方、各作家の作品がこれでもか、と出ていて、とても見やすく、面白かった。
さすがに放課後展に比べると、そうそうたるメンバー、予算も規模も全然違いますが、その後、ここや他の学校でやられてるグループ展で、これを上回る展覧会を見たことがない。
今思えば、この展覧会も、関根勢之助という構想設計のビックボスの呼びかけで、作家が集まり実現した展覧会の様で、タイトルも「放課後の展覧会」なんかよりさらに詩的で、なんのことだか?、実に曖昧だ。
にもかかわらず、そんなお題目は関係なく(注1)、各作家がそれぞれのスペースでいい仕事をすれば、とてもいい展覧会になる、という至極単純かつ明快な、お手本の様な展覧会でした。
それに比べると、他の小学校を使った展覧会は、どうしても、「場所の意味」だの「今ここで提示すべき概念」だのと考えすぎて、結局場所の力に負けてしまい、全体のバランスの崩壊や、頭でっかちな実験性のみで終るものが多く、「普通にいい展覧会だった」と言えるものがほとんど無かった。
ま、「小鳥は~」は「芸術祭典京」という京都市主催の展覧会で、放課後展と比べるのもおこがましい、という展覧会ですし、僕の単なる好み、でもあるわけなんですが。
「やるならあの展覧会くらいやりたいけど、さすがに無理ですかね~」
なんて思ってるとき、「FIX展」やら「4つのアトリエ」やら「荒野の幕間」やら、自主的に展覧会やイベントを興そうとしていた人達を見ていて、少なからず感化されて、結果、
「明日の為に!やるべし!やるべし!やるべし!やるべーーーっし!!」
と、なったのだと思う。
注1:確かアイデアルコピーさんは古びた校舎を古い銀行の様に見立てて「エクスチェンジ」していたし、杉浦隆夫さんは階段の踊り場を「ひょうきんベストテンかっ!」と言うほどの発砲スチロールで埋め尽くしていた。
鑑賞者としては、これといったテーマによる縛りはなかったように見えた。
また、先日、友人のO君は同展のことを「初めて現代美術が面白いと思えた展覧会だった」と語っていた。
今日の鼻歌:
♪私の~ 中から~ ゆるぎのない~ 旅の若僧~~ 旅の若僧~~ 旅の若僧~~
ほぼ、大丈夫だと思います。
仕事も行ってますし、勝てない阪神を嘆いてますし。
とりあえず、夜に白い花咲かせるくらいに元気になってきました。
下品ですいません、どうも木内です。
さて、しつこくも、もうしばらくお付き合い下さい。
放課後展の話。
前回の補足。
小学校を展示会場に使う、というのは、たぶんここ15年くらいで数多くやられていて、美術ファンな人にとっては「超ベタ」な、サイトスペーフィ・・・なんやったけ?あの舌噛みそうな言葉。
そんなに美術業界に明るくない人にとっては目新しくても、「今さら」な企画であり、かつそのスペースの持つ磁力の凄さに、大抵の美術作品はあっさり負けて、
「ここ、作品とか無いほうが面白いんちゃうん?」
てな感想を言う、というのもまた、ベタなあるあるネタ。
結構ノー天気に「どこでもやりまっせ~」てな作家じゃない限り、「諸刃の剣」を覚悟せねばならぬのが、こういう会場での常、ですな。
なので、何も考えずやって、上記の様な感想もらって、「俺のせいちゃうやんけ~」とか言ってヘラヘラするか、あるいはそんなリスキーなものには手を出さないのが、実力がバレなくて評価下げないので、いいのか?
じゃ、やっぱやらないのか?
「企画を準備して~、ストレートに表現できる状況をつくり、ワキをしめえぐるように展覧会を~
やるべし!やるべし!やるべし!やるべーーーっし!!」
僕はこの展覧会をやるにあたり、その理想型としてお手本にし、目標にしていた展覧会があった。
元龍池小学校で行われていた、「小鳥は大空を想像する」(1995年)という、同じく閉校を使って行われていた美術の展覧会。
僕が過去見た、学校を使った展覧会で、NO.1の展覧会です。
当時まだ大学生だったのですが、その会場の使い方、各作家の作品がこれでもか、と出ていて、とても見やすく、面白かった。
さすがに放課後展に比べると、そうそうたるメンバー、予算も規模も全然違いますが、その後、ここや他の学校でやられてるグループ展で、これを上回る展覧会を見たことがない。
今思えば、この展覧会も、関根勢之助という構想設計のビックボスの呼びかけで、作家が集まり実現した展覧会の様で、タイトルも「放課後の展覧会」なんかよりさらに詩的で、なんのことだか?、実に曖昧だ。
にもかかわらず、そんなお題目は関係なく(注1)、各作家がそれぞれのスペースでいい仕事をすれば、とてもいい展覧会になる、という至極単純かつ明快な、お手本の様な展覧会でした。
それに比べると、他の小学校を使った展覧会は、どうしても、「場所の意味」だの「今ここで提示すべき概念」だのと考えすぎて、結局場所の力に負けてしまい、全体のバランスの崩壊や、頭でっかちな実験性のみで終るものが多く、「普通にいい展覧会だった」と言えるものがほとんど無かった。
ま、「小鳥は~」は「芸術祭典京」という京都市主催の展覧会で、放課後展と比べるのもおこがましい、という展覧会ですし、僕の単なる好み、でもあるわけなんですが。
「やるならあの展覧会くらいやりたいけど、さすがに無理ですかね~」
なんて思ってるとき、「FIX展」やら「4つのアトリエ」やら「荒野の幕間」やら、自主的に展覧会やイベントを興そうとしていた人達を見ていて、少なからず感化されて、結果、
「明日の為に!やるべし!やるべし!やるべし!やるべーーーっし!!」
と、なったのだと思う。
注1:確かアイデアルコピーさんは古びた校舎を古い銀行の様に見立てて「エクスチェンジ」していたし、杉浦隆夫さんは階段の踊り場を「ひょうきんベストテンかっ!」と言うほどの発砲スチロールで埋め尽くしていた。
鑑賞者としては、これといったテーマによる縛りはなかったように見えた。
また、先日、友人のO君は同展のことを「初めて現代美術が面白いと思えた展覧会だった」と語っていた。
今日の鼻歌:
♪私の~ 中から~ ゆるぎのない~ 旅の若僧~~ 旅の若僧~~ 旅の若僧~~
by kiuchism
| 2009-06-13 21:48
| 放課後のために