2009年 11月 17日
ゲロリズム話 |
本当に最近、「自分のついてなさ」に笑うしかない日々です。
何独りで踊ってるんだ?オレ。
また、それについては書くか?やめるか?検討中です。
さて、中村協子さんの「ゲイサイ話」、僕も真似したくなってきました。
とはいえ、筆者は「ゲイサイ」(芸大の学祭の方じゃないよ)なんてキラキラしたステージに参加する勇気を持ち合わせてないため、代わりに
「ギャラリズムこぼれ話」を。
2006年秋、前年度のアンケート調査とギャラリー審査で見事「来年も見たいアーチスト」一位となり、人生初の「招待作家」として参加したギャラリズム2006。
(自分で書いてて恥ずかしないか?)
サブタイトルは「現場だ!」
で、そんな僕が展示する「現場」は「会議室」みたいな現美センターB室だったので、こちらは「会議室だ!」というサブタイトルを付けた「キウチズム」なる1人ギャラリズムを敢行しました。

んで、「どうやったらアンコール作家になれるか?」
みたいな秘訣を書くべきなのでしょうが、正直、そんな秘訣は僕にもわかりません。
ただ、2006年1月、アトリエ近所散歩中に携帯が鳴り、
「木内君、アンコール決まったよ~」
といわれ、冬空の下、小躍りを踊って喜んだのは事実です。
なんせ、「一番」なんて人生で経験したことなかったですからな。
ほんまに小ちゃいおっさんです。
また、その頃のギャラリズムは、現在と違って、まだ現美センターと共催の展覧会で、現美スタッフの方も比較的協力的でした。
(・・・って今はどうかは知らんけど)
で、イベントもいくつかあって、僕の参加した2005年と2006年は、最終日に、俳人の杉浦圭祐さんが、各作家に自作の俳句を作り、作家と作品の前で声を出して詠む、というのがありました。
そんで、2006年の搬出前。
そのイベントが始まって、A室の作家さんから順番に杉浦さんが廻られて、俳句詠みが始まったのですが、僕はB室にて、まだ途切れぬお客さんも相手にせねばならないというのもあり、そこで待機して、杉浦さんら一行が来られるのを待つ事にしました。
「おそらくはB室の僕が大トリとなるんやろな。ニヤリ。」
てな感じで余裕かましつつも、ちゃっかりK山さんからビデオカメラ借りてスタンバイし、待機してたのですが・・・。
待てど暮らせど、誰も来ない。
あれれ、もう16時過ぎちゃいましたよ。
なんか「なんだその俳句は!」とかって作家と揉めたりしてるんかな~?
なんて思ってたら、現美の方が来て、
「それでは、搬出お願いしま~す」
???あれれ?僕の俳句のコーナーは?
で、外見りゃ、次の展示の団体展の中高年な方々が今にも作品を搬入しようか、と待ち構えている。
「・・・あの、僕の俳句の番はどうなったのですか?」
と誰にだったか忘れたけど、尋ねたところ、
「ああ、何か時間がないってことで、A室前の廊下で木内さんの俳句は詠まれてましたよ~」
「・・・・」
何じゃそりゃ?
各作家と作品の前で詠む、っていうコンセプトちゃうん?
で、よく聞くと、杉浦さんではなく、主催者側が
「時間がないから、もうここで済ませちゃいましょう」
と僕の分だけ、作家も作品も何も無いとこで詠まれて終った、とのこと。
カッチーン!
いや、いいでしょう。これはキレてもいいでしょう!
いや、オレキレさせたら大したもんですよ!
・・・となりたいとこですが、外には中高年の方々が、額に入った油絵なんかを各自で持ったまま
「まだかいな?この子」
てな感じで僕が退くのを待っている。
というわけで、搬出開始。
とりあえず、作品を一旦外に出す。
で、その後は御想像どおり、一目散にA室に向かい、
「なめとんのか!こらアー!」
と主催者の胸ぐらつかんで大暴れ・・・など出来ない事は、皆様よくおわかりで。
いや、実は確かに一瞬苛つきましたが、そのあまりにも作家の気持ちを考えない主催者の行動は、展覧会期間中随所に顕われてたので、
「ま、しょせん、こんなもんなんやろな~」
と、諦めの念、でした。
そして、ふと目をやると、廊下に出してた筆者のイスの作品に、腰掛けてるる中高年の作家さん。
「あのう、これ、作品なんですう~」
「ああ、ごめんごめん」

この作品です。
てな会話をしながら、まあ、コレが大阪の現代の美術のセンターの現実やな~、と実感したのでした。
翌日、杉浦さんからは電話で、丁寧なお詫びの電話がかかってきました。
もちろん、氏は本意ではなく、主催者に促され、「ええのかな?」と思いながら廊下で俳句を詠まれたようです。
当然、氏に非はなく、僕も怒りの気持ちなんてありません。
むしろ主催者より、ちゃんと人の気持ちがわかってくださってることに、ちょっと救われました。

こちらが、杉浦さんからいただいた俳句の色紙。
このイベントは2年間だけだったから、2つ持ってるのは世界で僕1人です。
思えば、この「アンコール作家」には、一応「謝礼」があるのですが、ビックリするほど夢の無い、筆者の1日のバイト代にも満たない額でした。
搬入のスタッフのバイト代の時点で、もう赤字です。
その前年度のアンコール作家のMさんも同様の額だったみたいで、
「こんなんじゃ、次のアンコール作家は出品してくれませんよ。もっとギャラ増やしてあげて下さい」
と意見して下さってたとのことですが、そんなのも全く主催者側は組んでなかったみたいです。
そして、その「ギャラ」の入った封筒を僕に手渡す時。
同時に「イベント関係者」のギャラの入った封筒も持っておられて、封筒にはしっかり金額が記載されてました。
僕は見逃しませんでしたよ。
「ギャラリー1日ツアー」の世話役の人への謝礼の方が、僕より2千円多かったのを!
「作家なんて、金払わんでも発表場所与えときゃ、喜んで作品だしよるわ~。のう、越後屋!」
てな感覚を、美術関係者から、今でも感じることは多いです。
もちろん、そんな方々ばかりではなく、作家や展覧会の為、力を惜しまず尽くして下さる方々もたくさんおられますが。
そしてこんな経験から、僕は、少なくとも自身がグループ展など企画する時は、参加作家から、
「ま、しょせんこんなもんか・・・」
なんて思わせたら絶対にダメだな、と思ったのでした。
今日の鼻歌:
♪Heeeeee's the one~~~ Who likes all the pretty songs~~ And he likes to sing along~~~ And he likes to shoot his gun! But he knows not what it mean~~~ Knows not what it mean~~ And I say yeah~~~~
煮る花を好きになったのは、このPV見てからでした。
たぶんSONY MUSIC TV。
かっこいいね!カー床Buuurn!
19~20歳くらいのとき、悪魔的勢いが欲しいときは、コレを聞いてから出かけてました。
何独りで踊ってるんだ?オレ。
また、それについては書くか?やめるか?検討中です。
さて、中村協子さんの「ゲイサイ話」、僕も真似したくなってきました。
とはいえ、筆者は「ゲイサイ」(芸大の学祭の方じゃないよ)なんてキラキラしたステージに参加する勇気を持ち合わせてないため、代わりに
「ギャラリズムこぼれ話」を。
2006年秋、前年度のアンケート調査とギャラリー審査で見事「来年も見たいアーチスト」一位となり、人生初の「招待作家」として参加したギャラリズム2006。
(自分で書いてて恥ずかしないか?)
サブタイトルは「現場だ!」
で、そんな僕が展示する「現場」は「会議室」みたいな現美センターB室だったので、こちらは「会議室だ!」というサブタイトルを付けた「キウチズム」なる1人ギャラリズムを敢行しました。

んで、「どうやったらアンコール作家になれるか?」
みたいな秘訣を書くべきなのでしょうが、正直、そんな秘訣は僕にもわかりません。
ただ、2006年1月、アトリエ近所散歩中に携帯が鳴り、
「木内君、アンコール決まったよ~」
といわれ、冬空の下、小躍りを踊って喜んだのは事実です。
なんせ、「一番」なんて人生で経験したことなかったですからな。
ほんまに小ちゃいおっさんです。
また、その頃のギャラリズムは、現在と違って、まだ現美センターと共催の展覧会で、現美スタッフの方も比較的協力的でした。
(・・・って今はどうかは知らんけど)
で、イベントもいくつかあって、僕の参加した2005年と2006年は、最終日に、俳人の杉浦圭祐さんが、各作家に自作の俳句を作り、作家と作品の前で声を出して詠む、というのがありました。
そんで、2006年の搬出前。
そのイベントが始まって、A室の作家さんから順番に杉浦さんが廻られて、俳句詠みが始まったのですが、僕はB室にて、まだ途切れぬお客さんも相手にせねばならないというのもあり、そこで待機して、杉浦さんら一行が来られるのを待つ事にしました。
「おそらくはB室の僕が大トリとなるんやろな。ニヤリ。」
てな感じで余裕かましつつも、ちゃっかりK山さんからビデオカメラ借りてスタンバイし、待機してたのですが・・・。
待てど暮らせど、誰も来ない。
あれれ、もう16時過ぎちゃいましたよ。
なんか「なんだその俳句は!」とかって作家と揉めたりしてるんかな~?
なんて思ってたら、現美の方が来て、
「それでは、搬出お願いしま~す」
???あれれ?僕の俳句のコーナーは?
で、外見りゃ、次の展示の団体展の中高年な方々が今にも作品を搬入しようか、と待ち構えている。
「・・・あの、僕の俳句の番はどうなったのですか?」
と誰にだったか忘れたけど、尋ねたところ、
「ああ、何か時間がないってことで、A室前の廊下で木内さんの俳句は詠まれてましたよ~」
「・・・・」
何じゃそりゃ?
各作家と作品の前で詠む、っていうコンセプトちゃうん?
で、よく聞くと、杉浦さんではなく、主催者側が
「時間がないから、もうここで済ませちゃいましょう」
と僕の分だけ、作家も作品も何も無いとこで詠まれて終った、とのこと。
カッチーン!
いや、いいでしょう。これはキレてもいいでしょう!
いや、オレキレさせたら大したもんですよ!
・・・となりたいとこですが、外には中高年の方々が、額に入った油絵なんかを各自で持ったまま
「まだかいな?この子」
てな感じで僕が退くのを待っている。
というわけで、搬出開始。
とりあえず、作品を一旦外に出す。
で、その後は御想像どおり、一目散にA室に向かい、
「なめとんのか!こらアー!」
と主催者の胸ぐらつかんで大暴れ・・・など出来ない事は、皆様よくおわかりで。
いや、実は確かに一瞬苛つきましたが、そのあまりにも作家の気持ちを考えない主催者の行動は、展覧会期間中随所に顕われてたので、
「ま、しょせん、こんなもんなんやろな~」
と、諦めの念、でした。
そして、ふと目をやると、廊下に出してた筆者のイスの作品に、腰掛けてるる中高年の作家さん。
「あのう、これ、作品なんですう~」
「ああ、ごめんごめん」

この作品です。
てな会話をしながら、まあ、コレが大阪の現代の美術のセンターの現実やな~、と実感したのでした。
翌日、杉浦さんからは電話で、丁寧なお詫びの電話がかかってきました。
もちろん、氏は本意ではなく、主催者に促され、「ええのかな?」と思いながら廊下で俳句を詠まれたようです。
当然、氏に非はなく、僕も怒りの気持ちなんてありません。
むしろ主催者より、ちゃんと人の気持ちがわかってくださってることに、ちょっと救われました。

こちらが、杉浦さんからいただいた俳句の色紙。
このイベントは2年間だけだったから、2つ持ってるのは世界で僕1人です。
思えば、この「アンコール作家」には、一応「謝礼」があるのですが、ビックリするほど夢の無い、筆者の1日のバイト代にも満たない額でした。
搬入のスタッフのバイト代の時点で、もう赤字です。
その前年度のアンコール作家のMさんも同様の額だったみたいで、
「こんなんじゃ、次のアンコール作家は出品してくれませんよ。もっとギャラ増やしてあげて下さい」
と意見して下さってたとのことですが、そんなのも全く主催者側は組んでなかったみたいです。
そして、その「ギャラ」の入った封筒を僕に手渡す時。
同時に「イベント関係者」のギャラの入った封筒も持っておられて、封筒にはしっかり金額が記載されてました。
僕は見逃しませんでしたよ。
「ギャラリー1日ツアー」の世話役の人への謝礼の方が、僕より2千円多かったのを!
「作家なんて、金払わんでも発表場所与えときゃ、喜んで作品だしよるわ~。のう、越後屋!」
てな感覚を、美術関係者から、今でも感じることは多いです。
もちろん、そんな方々ばかりではなく、作家や展覧会の為、力を惜しまず尽くして下さる方々もたくさんおられますが。
そしてこんな経験から、僕は、少なくとも自身がグループ展など企画する時は、参加作家から、
「ま、しょせんこんなもんか・・・」
なんて思わせたら絶対にダメだな、と思ったのでした。
今日の鼻歌:
♪Heeeeee's the one~~~ Who likes all the pretty songs~~ And he likes to sing along~~~ And he likes to shoot his gun! But he knows not what it mean~~~ Knows not what it mean~~ And I say yeah~~~~
煮る花を好きになったのは、このPV見てからでした。
たぶんSONY MUSIC TV。
かっこいいね!カー床Buuurn!
19~20歳くらいのとき、悪魔的勢いが欲しいときは、コレを聞いてから出かけてました。
by kiuchism
| 2009-11-17 23:59
| 思ひ出話