2014年 06月 18日
木内貴志とその時代考証(その1) |
君は覚えているかしら?あの白いブランコ。
いや、横浜のブランコじゃないよ。ってかブランコの話じゃないですよ。
覚えてますか、先の私のW個展。
個展終わったら総括をして次の展開へ~とサクサク行きたいといつも思ってるのですが、そうなった試しはありません。
案の定、今回もふぬけたまま、仕事と家事の繰り返し。
自堕落な40代初め、です。
ということで、プチ満を持して先の個展の総括記して行きます。
久々の分析的キウチズム、です。
まずは、今回の個展の「そもそも」の話から。
タイトルの「続・木内貴志とその時代」からわかるとおり、今回の個展は以前行った個展「木内貴志とその時代」の続編ということです。

「木内貴志とその時代~オイルショックからY2Kまで~」
2000年5月16日~6月3日、MAKII MASARU FINE ARTS(東京)
*画像は当時のDMです。
この展覧会は初めての東京での個展でした。
ちょうどその年、神戸で個展が決まってたのですが、その神戸のギャラリーが間に入って企画して下さって、それに先立っての東京個展となりました。
東京での個展、しかも自身初の企画個展(要するに会場レンタル代無料)ということもあって、こちらも気合いと緊張が高かったように記憶してますが、まあ今よりずいぶん若かったこともあって、「これでいよいよ俺にも時代が!」なんつって想像の翼を広げてた・・ような気がします。
内容は当時思いついて制作していた「oil"shock"on canvas」シリーズ中心に・・というか基本はそれ一本で望むということでした。(詳細はこちらで)
しかしこの展覧会、作った作品にはそれほど不満も不安もなかったのですが、いかんせんそれ一本では全く通用せず、また会場との兼ね合いも悪く展示としての出来も満足いかず。
また東京の集客を期待したこちらとは裏腹に、全く無名の若手の展覧会に人がわんさか来るというわけもなく・・・。

↑こんな感じでした。
とにかく自身が期待した結果を全く得られないまま終わった展覧会でした。
3週間東京、それも銀座にほど近いという立地で、芳名帳に記帳して下さった数は130名程度にとどまり、スタッフの方に「もっと友達とかにたくさん声かけないと・・・」と言われる始末でした。
いや、そもそもそんなに友達いないんですけど東京に・・てな気分でした。
ちなみに、だからといってその後の地元関西、神戸の個展でも、(会場自体が少しアクセス面倒な場所とはいえ)一ヶ月やって同じく130名くらいの来場者でしたから、まあ所詮は自身の人気実力両方不足。ゆるやかに諸々落ち込みカーブを描き始める時期なのでありました。
なもんで、終わった後に「こうすれば」「ああすれば」たら、れば、たら、ればな感じだったのですが、実はその際に思いついたのが今回の「続」なのでありました。
ちなみにこちら、その際に会場で配った「展覧会のしおり」

こちらを開くと、

すでに予告編を勝手に企画してたのでした。
それから結局14年。
間に諸々ありまして、こちらもすっかり忘れかけてたのですが、ようやく「続」の実現とあいなったのでした。
しかも間髪入れずに「続続」まで!
途中、2007~2008年ころに、このプラン実現すべく僕なりに水面下で(?)着々と進行してたのですが、こちらがやりたかった会場の方が使わせてもらえる雰囲気じゃなくなったりして、僕の心でお蔵入り。
その肝は「和室(畳)」でして、畳スペースがあってそこに例の「ティッシュ粘土の万年床」リアルサイズを展示するというプランが展覧会の主軸、エースで4番として君臨してたため、易々とは行かなかったんですな。
あ、そういえばそのもっと前に東京にあった四畳半のアパートを使ったギャラリー「シナプス画廊」というのがあって、そこはどうやろ?と調べたらすでに無くなってた、ということもあったな~。(結局ここには行った事もないです。)
まあ、要するに今回の展覧会までにはほぼ自分の心の中にだけですが、あらゆる紆余曲折があったということです。
そんな中、数年前にオープンしたPARCには、その外観とはあまりにも関係ない感じの畳スペースが!
しかもスタッフは知人!こちらの活動もよく見てくれてる人物!
ということで、満を持しまくっての開催となったのでありました。
・・・という感じで、PARCで個展を、という話になったのが2012年頃だったと思います。
2013末、またはその年度末くらいという時期を仮約束させてもらい、それに向けて色々進めてたのですが、その頃からwks.さんから「ここらで木内貴志のこれまでをまとめて見せることも必要である」(言い方はそんな大げさではなかったですが)的な話を呑みの席なのでいただいていて、「やりますか?」「やりましょう!」てな感じで、同時期W個展開催を決めたのがたぶん個展一年前くらいの話。
その頃は、まあ1年あるさかいに・・と思ってたんですが、月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也・・いや、旅人は逃げ足早いのなんの。
で、やはりWで新作はキツい~となって、やはりwksの方はオーナーさんのおっしゃる「これまでをまとめる」方向ということで、過去作で構成、と決めた次第です。
あとは、この京都新作展、大阪旧作展、をどういう風にパッケージするかは、なんやかんやで2013年秋頃に「そろそろ諸々(日程、タイトル、イベント等)決めないとやばい」となって、どうしよう~ドラえも~~ん!
とのび太のように嘆いてみてふと「はっ!僕ドラえもん!」って僕はドラえもんではないのですが、ふと、てんとう虫コミックスの6巻と7巻、「さようならドラえもん」と「帰ってきたドラえもん」という、ドラえもんの話の中でも屈指の名作エピソードを思い出し、結局「わだば、ドラえもんなる!」となった次第です。
と、「次第です」って言われても・・・とお思いでしょうが、長くなるのでその屈指の名作2話に関しては割愛します。
ですが、幻の最終回である「さようなら」と、そこからの秀逸な物語再開「帰ってきた」を決まっていた「続・木内貴志とその時代」のサブタイトルにすることにしたのです。
問題は、普通「さようなら」が過去作で「帰ってきた」が新作、というのが筋(どの筋やねん?)な気がしますが、その辺りでスケジュール調整に入ったところ、どうしても京都が少し早く始まって大阪の方が後になる、という日程は変更できませんでした。
かといって、内容と会場は入れ替えられないので、ここは少し「筋違い」かもしれないけど、あえて「逆」を行きました。
「さようなら」が新作で「帰ってきた」が旧作。
新作を残してさようならするも、帰ってきたら旧作がどっさりで、猿の惑星のエンディングのごとく「ここはキウチだったんだぁあ~」的な。
まあ、「帰ってきた」の方のドラえもんは「言った事が逆になる薬」を飲んで云々という話なので、それにかけましてぇ~~てな具合。
というわけで、長々あれですが、展覧会時期、タイトル、内容、展覧会大まか外枠コンセプト、等々が決まったわけです。
展覧会案内状に関しては個展開催中のブログでも書きましたが、ミシン目2枚パックDMのアイデアとデザインはPARC正木氏の仕事です。

フォントは2000年の個展のものをそのまま使っております。
画像も2000年当時の自身の寝姿から、2014年最新の寝姿。
さようならで出て行って帰ってきたでちゃんと寝てる画像。
こちらは写真を油彩風デジタル加工。
さすがに14年も経つとソフトも進化していまして、2000年は「フレスコ」加工だったのですが、2014年はそのものズバり「油彩画」加工となってます。
ちなみにDMにはそれぞれにドラえもんの6巻7巻がチラッと。
さらに一部DM郵送には「ドラえもん切手」を使ってたんですが、お気づきの方はいらしたかしら?
まあ、14年の間にポストカードによる案内状というスタイル自体が薄れてきてますが、ここはミュージシャンがアルバム作るときのレコードやCDのジャケットと同じ感覚でとらえてますので私は。作品と同様、頓着するタイプです。
という感じで、ここまでが個展が始まるまでの諸々報告と分析です。
(・・・は~自分で書いといて言うのもなんですが、吐き気するほどクドい分析。ですが、まだ続きます~。)
今日の鼻歌:
♪君はおぼえて~いる~かしら~ あの~白い~ ブランコ~ (ブランコ~)
いや、横浜のブランコじゃないよ。ってかブランコの話じゃないですよ。
覚えてますか、先の私のW個展。
個展終わったら総括をして次の展開へ~とサクサク行きたいといつも思ってるのですが、そうなった試しはありません。
案の定、今回もふぬけたまま、仕事と家事の繰り返し。
自堕落な40代初め、です。
ということで、プチ満を持して先の個展の総括記して行きます。
久々の分析的キウチズム、です。
まずは、今回の個展の「そもそも」の話から。
タイトルの「続・木内貴志とその時代」からわかるとおり、今回の個展は以前行った個展「木内貴志とその時代」の続編ということです。

「木内貴志とその時代~オイルショックからY2Kまで~」
2000年5月16日~6月3日、MAKII MASARU FINE ARTS(東京)
*画像は当時のDMです。
この展覧会は初めての東京での個展でした。
ちょうどその年、神戸で個展が決まってたのですが、その神戸のギャラリーが間に入って企画して下さって、それに先立っての東京個展となりました。
東京での個展、しかも自身初の企画個展(要するに会場レンタル代無料)ということもあって、こちらも気合いと緊張が高かったように記憶してますが、まあ今よりずいぶん若かったこともあって、「これでいよいよ俺にも時代が!」なんつって想像の翼を広げてた・・ような気がします。
内容は当時思いついて制作していた「oil"shock"on canvas」シリーズ中心に・・というか基本はそれ一本で望むということでした。(詳細はこちらで)
しかしこの展覧会、作った作品にはそれほど不満も不安もなかったのですが、いかんせんそれ一本では全く通用せず、また会場との兼ね合いも悪く展示としての出来も満足いかず。
また東京の集客を期待したこちらとは裏腹に、全く無名の若手の展覧会に人がわんさか来るというわけもなく・・・。

↑こんな感じでした。
とにかく自身が期待した結果を全く得られないまま終わった展覧会でした。
3週間東京、それも銀座にほど近いという立地で、芳名帳に記帳して下さった数は130名程度にとどまり、スタッフの方に「もっと友達とかにたくさん声かけないと・・・」と言われる始末でした。
いや、そもそもそんなに友達いないんですけど東京に・・てな気分でした。
ちなみに、だからといってその後の地元関西、神戸の個展でも、(会場自体が少しアクセス面倒な場所とはいえ)一ヶ月やって同じく130名くらいの来場者でしたから、まあ所詮は自身の人気実力両方不足。ゆるやかに諸々落ち込みカーブを描き始める時期なのでありました。
なもんで、終わった後に「こうすれば」「ああすれば」たら、れば、たら、ればな感じだったのですが、実はその際に思いついたのが今回の「続」なのでありました。
ちなみにこちら、その際に会場で配った「展覧会のしおり」

こちらを開くと、

すでに予告編を勝手に企画してたのでした。
それから結局14年。
間に諸々ありまして、こちらもすっかり忘れかけてたのですが、ようやく「続」の実現とあいなったのでした。
しかも間髪入れずに「続続」まで!
途中、2007~2008年ころに、このプラン実現すべく僕なりに水面下で(?)着々と進行してたのですが、こちらがやりたかった会場の方が使わせてもらえる雰囲気じゃなくなったりして、僕の心でお蔵入り。
その肝は「和室(畳)」でして、畳スペースがあってそこに例の「ティッシュ粘土の万年床」リアルサイズを展示するというプランが展覧会の主軸、エースで4番として君臨してたため、易々とは行かなかったんですな。
あ、そういえばそのもっと前に東京にあった四畳半のアパートを使ったギャラリー「シナプス画廊」というのがあって、そこはどうやろ?と調べたらすでに無くなってた、ということもあったな~。(結局ここには行った事もないです。)
まあ、要するに今回の展覧会までにはほぼ自分の心の中にだけですが、あらゆる紆余曲折があったということです。
そんな中、数年前にオープンしたPARCには、その外観とはあまりにも関係ない感じの畳スペースが!
しかもスタッフは知人!こちらの活動もよく見てくれてる人物!
ということで、満を持しまくっての開催となったのでありました。
・・・という感じで、PARCで個展を、という話になったのが2012年頃だったと思います。
2013末、またはその年度末くらいという時期を仮約束させてもらい、それに向けて色々進めてたのですが、その頃からwks.さんから「ここらで木内貴志のこれまでをまとめて見せることも必要である」(言い方はそんな大げさではなかったですが)的な話を呑みの席なのでいただいていて、「やりますか?」「やりましょう!」てな感じで、同時期W個展開催を決めたのがたぶん個展一年前くらいの話。
その頃は、まあ1年あるさかいに・・と思ってたんですが、月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也・・いや、旅人は逃げ足早いのなんの。
で、やはりWで新作はキツい~となって、やはりwksの方はオーナーさんのおっしゃる「これまでをまとめる」方向ということで、過去作で構成、と決めた次第です。
あとは、この京都新作展、大阪旧作展、をどういう風にパッケージするかは、なんやかんやで2013年秋頃に「そろそろ諸々(日程、タイトル、イベント等)決めないとやばい」となって、どうしよう~ドラえも~~ん!
とのび太のように嘆いてみてふと「はっ!僕ドラえもん!」って僕はドラえもんではないのですが、ふと、てんとう虫コミックスの6巻と7巻、「さようならドラえもん」と「帰ってきたドラえもん」という、ドラえもんの話の中でも屈指の名作エピソードを思い出し、結局「わだば、ドラえもんなる!」となった次第です。
と、「次第です」って言われても・・・とお思いでしょうが、長くなるのでその屈指の名作2話に関しては割愛します。
ですが、幻の最終回である「さようなら」と、そこからの秀逸な物語再開「帰ってきた」を決まっていた「続・木内貴志とその時代」のサブタイトルにすることにしたのです。
問題は、普通「さようなら」が過去作で「帰ってきた」が新作、というのが筋(どの筋やねん?)な気がしますが、その辺りでスケジュール調整に入ったところ、どうしても京都が少し早く始まって大阪の方が後になる、という日程は変更できませんでした。
かといって、内容と会場は入れ替えられないので、ここは少し「筋違い」かもしれないけど、あえて「逆」を行きました。
「さようなら」が新作で「帰ってきた」が旧作。
新作を残してさようならするも、帰ってきたら旧作がどっさりで、猿の惑星のエンディングのごとく「ここはキウチだったんだぁあ~」的な。
まあ、「帰ってきた」の方のドラえもんは「言った事が逆になる薬」を飲んで云々という話なので、それにかけましてぇ~~てな具合。
というわけで、長々あれですが、展覧会時期、タイトル、内容、展覧会大まか外枠コンセプト、等々が決まったわけです。
展覧会案内状に関しては個展開催中のブログでも書きましたが、ミシン目2枚パックDMのアイデアとデザインはPARC正木氏の仕事です。

フォントは2000年の個展のものをそのまま使っております。
画像も2000年当時の自身の寝姿から、2014年最新の寝姿。
さようならで出て行って帰ってきたでちゃんと寝てる画像。
こちらは写真を油彩風デジタル加工。
さすがに14年も経つとソフトも進化していまして、2000年は「フレスコ」加工だったのですが、2014年はそのものズバり「油彩画」加工となってます。
ちなみにDMにはそれぞれにドラえもんの6巻7巻がチラッと。
さらに一部DM郵送には「ドラえもん切手」を使ってたんですが、お気づきの方はいらしたかしら?
まあ、14年の間にポストカードによる案内状というスタイル自体が薄れてきてますが、ここはミュージシャンがアルバム作るときのレコードやCDのジャケットと同じ感覚でとらえてますので私は。作品と同様、頓着するタイプです。
という感じで、ここまでが個展が始まるまでの諸々報告と分析です。
(・・・は~自分で書いといて言うのもなんですが、吐き気するほどクドい分析。ですが、まだ続きます~。)
今日の鼻歌:
♪君はおぼえて~いる~かしら~ あの~白い~ ブランコ~ (ブランコ~)
by kiuchism
| 2014-06-18 20:44
| 木内研究記